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10年という時間を経て、なお残り続けているもの –2016年1月、アリゾナ解剖実習を振り返って —

皆さん、こんにちは。
トレーナーの内野です。

私たちは日々、クライアントの皆様のパフォーマンス向上や痛みの改善に向き合う中で、評価・判断・介入の精度を高めることを求められています。その土台の一つとして、解剖学的理解があることは、現場に立つ中で自然と共有されてきた認識ではないかと思います。

解剖学は、一定の知識を身につければ完結するものではなく、経験を重ねるほどに「自分の理解はまだ限定的である」と気づかされる分野です。トレーナーとしての年数を重ねた今もなお、その感覚は強くなる一方です。

今からちょうど10年前、2016年1月末。
代表の桂トレーナーと共に、アメリカ・アリゾナ州で行われた解剖実習に参加しました。

当時の私は、解剖書や映像教材を通じて学んできた知識を、ある程度整理できていると感じていました。

しかし、冷凍された御献体を5日間かけて自らの手で解剖するという経験は、その認識がいかに限定的なものであったかを実感させられるものでした。

自分たちでメスを持ち、一層ずつ組織を確認していく過程は、知識を再確認するというよりも、これまで頭の中で描いてきたイメージと現実との差を受け止める時間だったように思います。

そこには、教科書で見てきたような整理された構造はほとんど存在していませんでした。

筋肉は体脂肪や筋膜、さまざまな結合組織の下に埋もれ、単独で明確に区切られて存在しているわけではありません。体脂肪、筋肉、筋膜、関節、靭帯、腱、等々が互いに影響しながら一つの身体を構成している。その事実を、視覚的にも触覚的にも突きつけられた経験でした。

解剖実習ラボの前にて

あれから、10年を経て、解剖を深く理解しようとし続ける姿勢そのものが、現場での判断を特別なものにするというより、判断を一度立ち止まらせる役割を果たしているように感じています。身体を単純化しすぎていないかを自分自身に問い直すための基準になっているのかもしれません。

トレーニングやリハビリの現場では、経験を重ねるほどに「分かったつもりになる危うさ」を感じる場面が増えてきます。その中で、あの実習で得た感覚は、正解に近づくための武器というよりも、判断を慎重にするための抑制として働いています。

今後も、解剖学に対して結論を出そうとするのではなく、常に問いを持ち続ける姿勢を大切にしながら、目の前のクライアント様一人ひとりの身体に向き合いサポートして参ります。

当時のエピソードなどご興味のある方がいれば、ぜひ気軽に声をかけてください!

講師のTodと。